インボルブ(人を巻き込む)②〜学校ホームページ[しくみ]
(この記事は,前回[リンク]のつづきです)
2009年に,私にとっては教員になって以来の「憧れ」だった玉野光南高校に赴任しました。(このことはまたいつか書きます)
その前に勤務していた高校は小さい学校だったこともあり,教務課長 兼 PC/サーバー管理者 兼 ホームページ担当者 兼 総務PR係・・・と,いっぱいの仕事があり(しかも,最後の年は例の「世界史未履修問題」で入院するまでヤラれたので),校務分掌でホームページと学校PRだけやればいいというのは天国のような環境でした。
赴任当時から光南のホームページは岡山県下でトップのアクセス数でした。これは,数年前まで担当していた方が馬力のある方で,毎日発信することを延々と続けておられ,ソフトもプロ仕様で,押しも押されぬ孤高の存在だったからです。私の前任者は,ソフトの高度さに手入れもできず,できるだけいじらないようにして,恐る恐る発信を続けていました。
私はまず,なぜアクセス数が県下No.1なのか分析してみました。すると,陸上競技部の顧問の先生が全国に名を轟かせる存在で,その練習メニューが大人気だとわかりました。他にも記事を投稿している先生もおられましたが70人ほどの教員のうち10人以下で,3分の2がホームページ係による,前年踏襲のコピー改編記事でした。また,アクセス数のわりに,学校ホームページを見ている教員,生徒が少ないこともわかりました。
私は,ウェブ作成ソフトとして当時としては最も勉強量が少なくてすむと思われた「Bind for WebLife」というソフトに,Wordpressのブログシステムをカスタマイズして,担当者が変わっても引き継げるように作り直しをしました。ブログは, Word/ブログ,一太郎,スマホアプリ,データのみ提供,FTPなど,いろんな投稿スタイルに対応できるようにしました。
そして,まずは自分がブログ記事をできるだけ書くことにしたのですが,行事なんて毎日あるわけではないので,それだけではすぐネタ切れになります。そこで,「光南の青い風〜 学校を泳ぐ」というコーナー(カテゴリ)を立ち上げて,何気ない日常を気軽に発信することにしました。
いつもデジカメを手にして,学校を泳ぐようにフラフラして,「ちょっと撮っていい?」と声をかけながら写真を撮りました。ブログを上げたら,印刷して掲示板にも貼り出しました。そのうちに,私が歩けば,みんなが「せんせー!」と声をかけ,ピースをしてくるようになりました。のちにオリンピックに出るような有名な選手もいたのですが,当初は「いや,オレはそういうの,好きじゃないから」と拒否されました。でも,「あ,いーよ。またいつかね」と言い続けていたら,そのうちに笑顔とピースを向けてくれるようになりました。年間2万枚撮っていました。
続いて,たくさんの先生に記事を書いてもらうためにはどうしたらいいか考えました。それが「プッシュ日」です。
担当者以外にとって,ブログを書くのなんて,余計な仕事です。ただ「書いてくれませんか?」と言っても,ごく一部を除き,書いてなどくれません。そこで,「キッカケ」を作ることにしました。毎月11日は「1−1」の担任,12日は「1−2」の担任・・・19日は「管理職」みたいな表を作り,1週間前に「良かったら書いてくれませんか?」と予告の紙を机上に置いていくのです。担任は副担任まで入れると3人くらい(リッチ!)いるので,3ヶ月に1回ぐらいということになります。その期間の中で「良かった探し」をしてくださいとお願いしました。強制はナシです。
また,ブログには写真があったほうがいいのですが,赴任当時はニコンの一眼レフが5台,うやうやしく(笑)ロッカーに鎮座していて,貸出簿記入など敷居の高い使いにくいものでした。
そこで,安いデジカメをたくさん(数年で10台くらい)買ってもらい,5秒で借りられる仕組みを作りました。デジカメロッカーの上に,教員の名前が書いてあるマグネットプレートを貼っておき,デジカメを借りるときは,そのデジカメを取る代わりに名前プレートを置くだけにしたのです。そして,数枚撮った程度なら,返却時の充電も不要にしました。
こういうふうにすると,心配になるのは「紛失・盗難」です。貸出簿ナシでは,無責任になってしまって,デジカメがなくなってしまうのではないか?
しかし,そういうことはありませんでした。貸出簿に記入することが面倒なのであって,時間がないときについ記入せずに借りてしまい,そのまま誰が持っているのがわからないことが問題だったのです。デジカメの稼働率は大幅に上がり,校内のあちこちで生徒さんの笑顔にカメラを向ける先生の姿,何かいいことがあったのか,職員室にダッシュでデジカメを借りに来る姿が見られるようになりました。
(つづく)※何かにつけて以下のようなポスターをよく作成して掲示していました。